DC発売後一発目の文字ネタは・・・何とSSについてです(笑)。何せこれからSSが廃れていくのは前例から言って間違いないですし、私としてもなかなか思い入れのあるハードなので、今回は思いっきりセンチメンタルにSSへの愛を打ち明けて見たいと思います(爆笑)。
今回の挿絵を描くために、久々にVF1のマニュアルを開きました。数年ぶりだったかも知れません。にもかかわらず、あの1994年のSS購入時の興奮や喜びがまざまざと思いだされたもんでかなりびっくりしました。VF1なんて今じゃ手にとる人間を見るということすらほとんどないほどの旧時代の産物といってよいですが、どうも私にとっちゃ今でもキラキラ輝いているゲームのようですな。どのゲームとも違っているようです。
近所のゲームショップからでっけえ(^^;)袋を抱えて帰ったあの日。テスト期間中だったので、テストが終わるまでは開封すまいと頑張ったのに結局開けてバーチャりまくった日々。44800円は高い買い物で、それからかなり貧乏したこと。なんか全て懐かしい(しみじみ)。それまでゲームと言えばスーファミだった時代です。だからこそ初めてSSに触ったときの感動は大きく、それが懐かしさを倍増させているのかもしれません。
現在SSを語る場合、どうしてもDCとの比較論に終始してしまいますが、SSとDCを比較した場合、どうもSSの方に「夢」があったんじゃないかな、って気がしてしょうがないです。映像に感じたショックはDCより明らかに上だったし、不遇だったMDに比べ、サードパーティもそれなりに整っていた。前途洋々とはいえない船出ではあっても、セガファンにとっては「夢」に溢れたスタートだったに違いなかった。・・・しかし、現実はそううまくは運ばない。セガファンの苦悶の日々がはじまるわけです・・・
無論、苦悶とはPSの登場。何故SSが負けたのかっていうことは以前書いたので再びは書きませんが、このことは再び書かせていただきます。「面白いゲームが売れるとは限らなくなった」。PSだったらいざ知らず、SSのゲームはいくら面白くてもなかなか売れない。我々旧時代のゲームファンにとっては、「なぜこのゲームが売れん!?」とか、「なぜこのゲームの楽しさが認知されないんだ!?」と憂える日々が続きました。面白いゲームが売れなくなった、つまり、時代が変わり始めていたわけです。
そのうちPSの勝ちは完全に確定し、SSはというと没落の一途をたどります。しかしそれでも、セガは、一部サードパーティは素晴しいゲームを与え続けてくれた。SHTとADVの充実ぶりは、ゲーム史上類をみないものだったに違いありません。その心意気に共感し、私という旧時代ゲームファンはセガとSSを支持し続けました。しかしそれは現在という時代からかけ離れた支持でした。
旧時代ゲームファン。誇りと哀しさをもって私は自分自身をこう表現します。遥か太古の昔、ゲームは修行でした。いや、苦行であったといえるかも知れない(^^;)。その時代のゲームに私は懐かしさを覚えます。無論今でもそういうゲームは存在するけど、コンシューマなんかでは特に、ゴリラやパンダよろしく極めて少数になってきています。さらにそれらのゲームは市民権すら剥奪されつつあり、やはりどうも、時代から置いていかれているようです。今どきのRPGなぞ、苦労するということなど一切なく、ACGなんて数自体かなり少ない上に簡単なものばかり。
SSというのは、ゲームが修行だった時代の最後の砦だったのでは、そんな気がしてなりません。そして我々旧時代の人間は当時、旧時代のゲームの産物たるSSがそのまま天下をとると期待し、夢見た。実際三日天下とは言え、天下もとった。しかし、それが定着することはなかったわけです。ライトユーザーの決起により、ゲームを取り巻く環境は激変しました。無論それは、ゲームが一皮むけるための避けて通れない道ではあります。とはいえ、旧時代のゲームファンにとっては、少なくとも私にとっては自然に、本当に自然に寂しいという思いがわきおこってくる。
DCには「夢」がある。楽しそうなものを見せてくれそうだし、本体の持つ可能性は大きい。しかしその「夢」はSSの見せてくれた「夢」とは明らかに違います。新しい「夢」です。SSが見せてくれた「夢」はうたかたのごとくはじけて消えました。ゲームの行くべき道はPSによって既に決定され、SSが顧みられることはない。その道はSS以前とは全く違うのです。私は寂しさを禁じ得ないわけです。旧時代の人間のたわ言であります。


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