その日集まったのは9人。うち、その荒行に参加するのは7人であった。
うまい棒108本。それが口で言うほど簡単な量ではないことはみな分かっていた。そのうまい棒108本を食って煩悩をひとつひとつ潰しつつ年を越そうというのだから、波乱の年越しになることは間違いなかった。そしてそれは結局「波乱」などという言葉では表現しきれない、恐ろしい一夜となったのである。
時間は1998年12月31日午後11時過ぎ。用意されたうまい棒は840本。並べると壮観である。その内訳はコーンポタージュ味120本、なっとう味90本、チーズ味30本、ココア味120本、メンタイ味120本、元祖さすがたこ焼き味120本、やさいサラダ味120本、ピザ味30本、てりやきバーガー味30本、サラミ味30本、とんかつソース味30本の計840本。
普段何気なく買っているうまい棒も、これだけ数が揃うと殺傷能力すら持つと知るのは、これより3時間程後のことである。
「何ー!?一種類かぁ!?」
という声が部屋に響いた。皆これだけ用意したうまい棒を適当に組み合わせて108本食べるとばかり思っていたのだ。
「当然でしょう」
主催者Fの冷たい声が皆の胸を貫く。うまい棒一種類を108本食べ続ける。これが果たして人に可能なのか。いや、不可能なのは分かっていた。死ぬ前にやめられるのか、それが問題だった。
「全部食ってもらうで」
再び主催者Fの絶対零度の声が響く。観念するしかなかった。死のう。華々しく散ってやろう。主催者Fが微笑う。・・・この宣言によって最も苦しむ羽目に陥るのは、正にFだということも知らずに。
うまい棒達との記念撮影が終わった。いよいよ正念場、「味の決定」である。参加者の眼が血走る。自分の苦しみの大きさがここにかかっているということくらい、全員認識していた。
決定法は単純なジャンケン。勝った者から選択するという単純な方式である。選択出来る味はコンポタ、なっとう+チーズ、ココア、メンタイ、元祖さすがたこ焼き、やさいサラダ、全味同数複合の
「ミックス」
の7種類。
恐らく最も安全な選択肢は「ミックス」である。次に割とソフトな「やさいサラダ」あたりであろうか。誰もが避けたいのは「なっとう+チーズ」と「コンポタ」である。これを選ばされた日には二度とシャバの土は踏めまい。よく分からないのが「ココア」だ。新製品のようなので誰も食ったことがないのだ。思いのほかソフトであるという可能性もある。
筆者は自称「うまい棒フリーク」である。その経験からいっても、「なっとう+チーズ」と「コンポタ」は避けたい、という気持ちは皆と一緒である。但し、「なっとう+チーズ」を避けたいというのはまずいからではない。なっとう味うまい棒には粉末なっとうが配合されているというのは有名な話である。そのため、なっとう味のうまい棒を食うと口の中がべとべとになるのである。90本も食い続ければ口の中がとっても恐ろしいことになるのは容易に予想がついた。その「恐ろしいこと」を是非外から見てみたかった、それだけである。なっとう味うまい棒自体は嫌いではない。もちろん食い続けるというのはあまりやりたいことではなかったが。
「コンポタ」に関しては、何が何でも避けたかった。コンポタ味の恐ろしさはこの私が参加者のなかで最もよく知っている、とさえ思っていた。一本ならいいのである。コンポタは。味の再現度は高く、それなりの味といって差し支えない。ただ、それが束になって襲ってくるとなると・・・死ぬ。間違いなく死ぬ。15本目あたりから猛烈な吐き気が襲ってきて、30本も食べれば死に至るというロードは既に見えていた。桂さんもエスパー魔美もビックリだ。「コンポタ」だけは嫌だった。
ジャンケンが終わった。1位のAは評判通りのミックスを選んだ。2位のDはやさいサラダ。評判通りだ。3位のGはココア。なかなかの勇者だ。4位のCはメンタイ。順当な線である。
ここに至って残った味はコンポタと、なっとう+チーズと、元祖さすがたこ焼きであった。選択者は私だが・・・前述の理由から、たこ焼きを選んだ。次の選択者Bが呻く。「お、俺、なっとうとコンポタのどっちか・・・?」苦渋の選択とは正にこのことか。Bはなっとう+チーズを選んだ。
主催者Fの顔色が変わった。さっき「一種のみ!」「全部食え!」と宣言したのだ。しかし・・・まさか自分がジャンケン最下位とは!しかも「最初はグー」のときチョキを出してしまい、最下位にまわされた結果だとは!そして・・・この自分にコンポタがまわってくるとは・・・
「コ、コンポタだけは嫌やったのに・・・」
Fはかつてないほど落ち込んでいた。
「じゃ、鐘がなったら食い始めよう」
ということになった。飲み物の用意は整っている。一人当りコップ2、3杯分は用意されていた。ラジカセのスイッチが入り、チューニングが開始される。「ホンマに食い切れるんかー?」「無理やってー」結構和やかな雰囲気になって来ている。悲壮感は薄まっている。Fだけは浮かない顔だったが。
「ゴーーーーーーン」
ばりばりばりばりばり。
「な、何ィ!?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。「ゆく年くる年」であろう。ラジカセから除夜の鐘が聞こえてきたかと思うと、何かに取り憑かれたように皆一斉に食い出したのだ。これ、競争だったっけ?とは言え、気がつくと、私も元祖さすがたこ焼き味の袋を勢いよく破り出していた。
F!コンポタのF!「あ、いける。これ結構うまい」だって!?ち、ち、ち。アンタはわかっちゃいないわ。コンポタってのはボディーブローなんだよ。1本2本はどってことないんだよ。これから苦しむことになるんだ。高畑さん以上の苦しみを味わうことになるんだ。などと、私が意地汚なく考えていたことは置いておいて、それにしても・・・
速い。速すぎる。あんたら「光」見えてないか?10本食うのに2分かかってへんやん。とかなんとか考えつつ、私もそのペースについていっている。1本、2本と皆一緒に食い進めているので、遅れたり、先走ることはない。11本目の声がかかる。
「?」
待て。誰か遅れている。・・・Gだ。ココア味担当、Gだ。
Gは胃弱である。肉料理を完食しているのを見たことがない。そのくせ大酒呑みでヘビースモーカーである。肉体年齢は50近いと診断されたと聞いたこともある。もちろん体力もない。Gが最初に脱落するのは確実というのが大方の予想だったが・・・
ヤバい。10本で青白くなっている。
「え?みんなもう食ったん?」
眼までかすんでいるらしい。Gはそのまま14本目まで食い進んだ。現在の所同じ学校で参加者中もっともGと近しい位置にいる私はGの現状がよく分かった。限界が近い。いや、もう超えているのかもしれぬ。すでにGはその瞳の中に椎名へきるや飯塚雅弓がにっこり微笑んでいる姿を見ているのだ。もうやめてくれ。未知のココア味だが、そんなにアレだったのか。しかし、いくらなんでも15本で死人が出てはカッコ悪すぎる。もういい。だから肩で息すんな。もういいんだよ。みんな口では言わないが、実際108本は無理と解り始めている。今やめても誰も文句は言うまい。
Gは15本を食った。
「もう無理」
Gの挑戦はここで終わった。15本。世界で最も重い15本に違いあるまい。・・・ちなみに後日、その「未知の」ココア味は結構うまいということが判明した。このわずか15本という記録は、ひとえにGの虚弱がなせる業だったのだ。
「よし、15本がうまい棒レベル1!」
との決定が下った。ここから先は15本ごとにうまい棒レベルが1ずつ増えてゆく。
レベル2も近い25本前後。第一のヤマ場がやって来た。やさいサラダ担当のDが弱音を吐き出したのだ。
「もうやめる」
皆ギョッとした。安全だったはずのやさいサラダが、なぜ?
「これ、けっこう濃い」
そうなのだ。ソフトと思っていたやさいサラダは結構濃い味だったのだ。濃い味は身体に負担をかける。糖尿病の元凶だ。それだけではない。うまい棒の場合、濃い味は口に大きなダメージを与えるのである。うまい棒を多く食うと、うまい棒と口腔内上部がこすれるからだろうか。とにかく口腔内上部がヒリヒリしてくるのだ。ついでに唇も何故かヒリヒリしてくる。そのヒリヒリしている部分にうまい棒の塩分がしみる。その痛みは味が濃ければ濃いほど極上になる。
そのことには皆気付き出していた。予想もしていなかったが、うまい棒をたくさん食うと口のなかが擦り切れるのだ。わかっていながら皆Dを責めたてる。
「えー、やさいサラダやのにやめんの〜?かっこわる〜」
「わかった!やるわ!やったらええんやろ!」
あ、きれた。
Dが覚醒した。猛烈な勢いで食い出した。もうDは心配ない。心配なのは・・・
Fだ。口数が少ない。「もしゃもしゃ」という擬音がよく合う風情でコンポタを食い続けている。口を開けば「吐きそう」とか言っている。「夕飯にコーンポタージュスープ飲むんじゃなかった」とも言う。スマン。ファミレスに誘ったのは私だ。
メンタイ味Cも黙々と食い続けている。こちらはまだマシそうだ。とはいえ、嬉しそうにはしていない。なっとう味Bは嬉しそうだ。「優勝もらった!なっとう当たり!!ひょっとして108本いける!」ミックスAも嬉しそうである。いかなる場合でも最初に食い終わり、「次いこう」と声がかかるのを待っている。「次何食おう」と楽しそうに選んですらいる。畜生。てめえも一種類食い続けてみやがれ。残りの参加者の怨念の声が聞こえた気がした。
レベル2、つまり30本を超えた。Fがいよいよ辛そうだ。立ち上がっている。座っていると目前にうまい棒の束が見える、それが嫌なのだそうだ。一方、口ではこう言っている。
「みんなまかせて!108本食うし!」
Fの辛さが身に染みて分かった。
39本目。Fが崩れ出した。「もう無理。やめる」「いや、やっぱりやる」「108本食う」「無理」そんなことを口走りながらコンポタをほおばる。わかる。わかるよ。しかしコンポタでここまでやってはマジ危険だ。私は彼を落とそうと決意した。
「君はよく頑張ったよ。田舎のかあちゃんが心配してるぞ」
「む、むーん」
落ちたと思った。しかし。
40本目。Fは食った。食い切った。正直驚嘆した。Fこそヒーローだと思った。そしてFは決断した。
「負けました」
私は何も言えなかった。また、この時点で正式に、Fの「全部喰え」という宣言は無効となった、と言って良いだろう。
かく言う私も、そのとき結構ヤバかった。Fが脱落する前、インターバルが入ったのだが、その時すでにGをして「野戦病院のようだ」と言わしめていた。散乱するうまい棒。人々の呻き声。部屋の隅にはうさぎが飼われていたが、それに話しかける者。充満する油の匂い。「身体じゅうから油が噴き出しそうや」と言った者もあった。
Fが脱落し、私も限界が近かったのである。さっきなど、元祖さすがたこ焼き味うまい棒なのにキャラメル味うまい棒の味がした。もうダメだな、と思ったのはその時だ。その時、突然天を裂くような歌声が響く。
「かーえーるーのーうーたーがー」
「!?」
なんだこのかえるの歌は!?・・・精神攻撃だった。周りの数名が歌い出したのだ。私を落としにかかっている。しかしこのかえるの歌3輪唱は効いた。抜群だった。頭の中で人の声が反響した経験など、これが初めてだった。3輪唱が6輪唱くらいに聞こえた。
そしてうまい棒レベル3、45本を食い終わり、私は脱落した。
25本で弱音を吐いたDはどうなっているのだろう。・・・食っている。食いまくっている。いったいあの弱音は何だったのかというくらい食っている。Cは?限界を訴えながらそれでも食い続けている。Bは?口が痛そうだ。それもそのはず、なっとう味はカラシの味まで再現されているのだ。Aは?もう何も言うまい。嬉しそうだ。Aはのちに「うまい神(しん)」の称号を贈られることとなる。
Dの限界が近そうだ。Dは多くを語らないタイプなので詳しいことは分からないが、もう無理らしいというのはよくわかった。Dは108の半分、54本で脱落した。口が痛そうだ。
残るは三人。うまい神Aは別としてBとCのふたりではCが不利そうだ。それもそのはず、Cはメンタイ味だ。じわじわ効いてくるタイプの味の筆頭である。実はCは40本目のあたりで既に弱音を吐いていたのだ。ある意味Dよりも驚異的な伸びを見せている。うまい神を間にはさみ、BとCの落とし合いが始まった。
既にレベルは4を超えていた。ふたりは力の見せ合いを開始した。Bがもりもりなっとう味をほおばりだした。速い。これほど余力が残っていたとは。見ている者も、何よりCが驚いたに違いない。Cも力を見せなければならない。自分はこれだけ力が余っている。どうだ、見ろ。Bの心を殴りつけてやらねばならない。Cはメンタイ味を力一杯ほおばった。
「う!?」
Cが呻いた。失敗だ!Cの力はもう残っていないのだ!・・・そして、別な方向からの圧力がCにかかる。最初に用意した飲み物が残りわずかなのだ。ペットボトルももう空だ。残りはCのコップのワン・フィンガーのみ。絶望的だ。
だがCはやろうとした。そのワン・フィンガーがなくなった後も果敢にメンタイに立ち向かおうとした!・・・しかし情勢は飲み物なしでうまい棒に立ち向かえるほど甘くはなかった。うまい棒の女神は無情にもBに微笑んだ。Cはメンタイ味半分をほおばったまま崩れ落ちた。70本目のことであった。
のこるはうまい神AとBのみ。いよいよクライマックスだ。Bにはうまい王の称号が贈られた。しかしそれは逆に言えば、うまい神の絶対的な高みを表したものにほかならなかった。71、72、73・・・すでにうまい神も楽しそうではなかった。だが、苦しんではいなかった。うまい王は神には勝てぬと判断したか、75本で自らに課した義務を終わらせようとしていた。うまい王は苦しみぬいていた。
74本目、うまい王の義務まであと1本。そこでうまい神から驚くべき発言が提出された。
「もう飽きた」
飽きた!何ということだ!うまい神・・・正に神だ!うまい王が呻吟する。
「てめえ、いつか一種類だけ食い続けさせる」
75本目、うまい王は自らに課した義務を果たした。うまい神もとりあえず75本を食べ終わった。うまい神はこう言った。
「食い続けてもいいけど、もう飽きた。まあ頑張れば90本くらいまではいけると思う。」
うまい神の食事もここで終わった。
ここでひとつ言っておきたい。うまい神、うまい王共に75本でアウトしたが、その意味は両者で大きく異なる。参加者全員に聞いてもいい。うまい神の最後の発言は虚勢を張ったのでは無かった。うまい神はマジで90本いけた。うまい神は、人類の一歩先を行く存在なのだ。油の固まりなのだ。
その後私は、6時頃だったろうか、会場を後にした。胃は重かった。帰途飲んだバナナセーキ(ホット)は気を失いそうになるほど旨かった。両手にはうまい棒を30本ずつ抱えていた。元旦の朝である。
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