セガ・ドリームキャスト(以下DC)の生産が、2001年3月末をもって終了する。要するに、家庭用ゲーム機業界において、セガがハード会社でなくソフト会社になる、ということだ。DC自体が無くなるわけではないが、結構長い間セガのゲームと付き合ってきた私にとってかなり寂しい事態ではある。
 この節目にあたり、セガに関するまとめ的な文章を、少々お目にかけたいと思う。

1.全体の話 −なぜこうなったのか−

 DCの生産が終了する。その今後を予想してみたい。
 DCの今後を予想するにあたり、二点、重要なポイントがある。
 まず、DCの「生産を終了する」という点。これは「販売は終了しない」ということを意味する。在庫を売り切るまで販売は続くのである。つまり、3月をもってDCが店から消えるというわけではない。
 さらに、セガはDCに対してソフトを供給し続ける、という点。
 これら二点がDCの今後を示す。その今後とは、(色気も何もない言い方ではあるが)DCはしばらく生き残る、ということである。
 この「しばらく」が問題だ。半年か、一年か。あるいはもっと短いのか、それとも長いのか。
 DCは現在日本市場に400万台近く出ている。PS陣営に比べると寂しいが、それでも結構な数ではある。これら400万台をどう扱うか、がDCの命運を握る。ヘビーユーザーあるいはセガファンと呼ばれる人々を相手にDCを生かしていくのか、従来路線、つまりライトユーザーをも睨んだ形でDCを生かすのか。
 ヘビーユーザーを重視した形でやれ、とは以前からセガに対して言われていたことではある。この路線でやっていくのなら、DCはある程度、そう、1、2年は生き残るだろう。ただ、サードパーティーの協力がどれほど得られるか、得られなければDCが生き残る期間は短くなるだろう。従来路線でやるのなら問題外である。DCはすぐに消える。
 しかしどうやら、1年、長ければ2年程度は表舞台に踏みとどまりそうである。本体を値下げし、全世界で200万台という在庫を一掃する。さらに流通を見直し、販売店側にソフトを売りやすくする。予定されている大作ソフトは全て発売し、ネットワークなどのサービスも継続する。今後はこういう方針でいくそうだし、セガファンと言われる人々がちょっとやそっとでセガを見放すはずもないから、案外と細く長く生き残っては行きそうである。
 とは言え、いずれセガハードが消えてしまうことには変わりない。
 では、セガ本体はどうなるのか。
 セガはアミューズメント事業と他ハードへのソフト提供によって再生を狙う。それだったらとりあえず、セガが潰れて消えるということは無い。
 そうしながら、セガは再び力を溜め、いつの日かニューハードを発売するかもしれない。が、現時点では何とも言えない。
 では次に、セガがなぜこのような事態に陥ったのかを検討してみよう。
 いくつかの理由が複合していると私は考えるが、代表的なものを挙げてみたい。
 ひとつ目は、ファイナルファンタジーとドラゴンクエスト。この二つのキラーソフトが両方DCに欠けているのが、大きかった。
 ふたつ目は、ソフト展開。DCのソフト展開についてよく言われるのが「面白いソフトが少ない」「魅力的なソフトが少ない」ということである。これらのことは時に混同して語られるが、全く異なる。
 DCには、面白いソフトは多いのである。古くはVF3TB。セガラリー2。ソニックアドベンチャー。私が未プレイなので詳しいことは言えないけれども、ソウルキャリバーや久遠の絆なども大変評判が高い。新しいところではCAPCOM VS SNK。ギルティギアX。Kanon。まだまだあるが、いずれもゲーム史に残るゲームである。
 しかし、ここで注意したいのは、評判のいいソフトの中に、間口の広いRPGが少ないということだ。ACGや格闘はもはや流行らないのである。ユーザー層が厚くなったため、相対的にACGなどの間口が狭くなっているためである。少々過激に言うなら、平均的ユーザーの質が低下しているからだ。良いゲームを受け取る力もなければ、受け取る気もない。仕方がないと言えば仕方がない。ゲームばかりしている人間が主要なユーザーである時代はとうに終ったのだ。格闘ゲームなどは、あまりにうまくなり過ぎたヘビーユーザー達がその衰退を招いたとすら言える。誰がこんな状況を招いた罪人かと問われれば、結局拡大しすぎたゲーム市場そのものだとしか答えようがない。
 結局、DCには「面白いゲーム」はあっても「魅力的なゲーム」はなかったのだ。どのゲームも間口が狭かったのである。FFやDQの不在と根を同じくする問題でもある。
 他にパブリシティーの力が不足していた点なども挙げられるが、最も注目すべき問題は、ネットワークの扱いであったと思う。
 DCのウリにインターネット接続があったのは周知の事実である。当初、ある程度懐疑的な見方はしていたものの、私自身はこの機能に対して相当の期待を持っていたように思う。
 しかし今ここに宣言する。その期待は誤りであった。ネットゲームなどクソくらえだ。
 ネットゲームは、その長所など消えて無くなってしまうほど欠点が多いのだ。電話料金が高すぎる。重い。登録が面倒臭い。接続が面倒臭い。覚えることが多い。
 そして、ネットゲームの最も大きな長所である「コミュニケーション」はそのまま欠点になってしまう。そもそもネットワークの世界とは脆弱なのだ。そこに100人のコミュニティがあるのなら、それを破壊するのに必要な人数はたった一人なのである。コミュニティに普通に入り込み、無礼な態度をしつこく取り続けていれば、そのコミュニティは瓦解する。無法者を追い出しても、しこりは残る。コミュニティの歯車は狂う。ネットワークを蹂躙するのに、高度なクラッキング技術など必要ない。
  小規模で、ある期間を過ぎればコミュニティにまとまりのつく個人サイトならそれほど危険はないだろう。もしどうしてもダメならコミュニケーションの手段のみ閉じればよい。しかし、セガのやりたかったネットゲームは、不特定多数、しかも大多数を相手にする。さらにコミュニケーションがないと何も成立しない世界だ。無法者が現れる危険は、個人サイトよりも飛躍的に増大する。難問だ。
 確信犯でなくとも、ちょっと遠慮したい人間はいる。自分の発言などに神経が行き届いていない人間である。
 ネットワークの世界では、基本的に文字によってコミュニケーションする。文字とは所詮記号であるから、何の工夫もせずに書き付ければ、非常にぞんざいな印象を読み手に与える。文字のみで喜怒哀楽を伝達するのは大変に高度な技術なのだ。そのために実際の手紙などでは、何度も推敲する。
 しかしネットワークでそんなことはやっていられない。電話代がかかる。情報が腐る。チャットルームで相手に逃げられる。
 こういう難問を解決するためにネットワーク上で使用されるようになったのが、「かおもじ」であり、「(笑)」や「(涙)」といった記号だ。(これらの件に関しては稿を改めてまた書いてみたいと思っている)
 しかし、面倒くさい、オタクっぽいというような種々の理由で、これらの手段をないがしろにする人間がかなり多い。そして、そういう人間はなぜか大抵、これらの記号を用いずに、短時間で、自分の気持ちを的確に伝達できる技術を持ち合わせていない。
 こういう人間とネットワーク上で出会うと、悪意がないだけげんなりする。
 料金や、性能や、コミュニケーション。これらの煩わしさを、したたかに泳ぎ切る力と神経を持った人間(図太い悪人という意味ではない)のみが、現時点でネットゲームを続けてゆける人間だ。もちろんその数は多くない。私も挫折したクチだ。
 これらネットワーク、ネットゲームにおける欠点を一言で表現すると「間口が狭い」。致命的に狭い。DCはネットワークに手を出すべきではなかった。少なくとも、今この時代に手を出したのは早過ぎた。ネットワークには面倒くさいことだらけだ。普通の人が万難を排してネットワークに接続する動機など、エロサイトに出会い系サイトくらいしか思いつかない。ゲームなんて動機のどの字にもならない。ネットワークは、ビデオデッキで言えば未だにAV黎明期程度の位置にしかない。ネットゲームが真のエンタテインメントになるのはまだまだ先だろう。
 話はどんどんズレていくが、正直、今のままではネットゲームの未来は危ういと思う。こと、コミュニケーションの問題に関してはネットワークある限り付いてくる問題である。ブロードバンドやらナローバンドやら電話料金やらの問題を軽く吹き飛ばすような大問題だ。ネットワークが永遠に抱えるジレンマかもしれない。現実世界にもあるジレンマではあるが、ネットワークは匿名なだけ程度が酷い。
 余計な話が長くなってしまったが、セガが失敗(現時点では失敗と言って良かろう)したのは結局、何を提供するにしても、提供される側にとって間口が狭かったためだろう。
 先程ネットワークゲームについてズタズタに書いたが、別に何が憎くてそうしたわけでもない。多くの難点を抱えるものの、私はネットゲームの面白さは本物だと思う。しかし、現時点ではあまりに間口が狭いのだ。この間口の狭いサービスを一般に提供しようとした所に、セガの苦しみが表れている。セガはずっとそうだった。
 セガは、面白いものを提供したくてしょうがないのだ。良いものを見せたくていウズウズしているのである。いつも限界まで可能性を追求していた。しかしその姿勢が生むものは、確かに目を見張るほど素晴らしくても、間口が狭くなるのである。これらを最近までゲームのゲの字も知らなかったような人々に提供しても、結果は明白である。セガがやったのはそれだ。間口の狭い、ある意味難解なものを用いて、ゲーム界の天下獲りを目指していた。
 セガは頑張った。セガプロバイダは長い間無料接続でやっていたし、次々とネット対応ゲームを発売しもした。しかし、性急に手を広げすぎた感が強い。セガ式のコンテンツでソニー式の商売をやってしまった。もちろんこれはネットに限った話ではない。
 セガがだめだった理由を端的にまとめるなら、FF・DQにしても、「魅力的なゲーム」にしても、パブリシティーにしても、ネットにしても間口が狭く、ライトユーザーを取り込めなかったという一点に尽きる。ライトユーザーとは、時々しかゲームをしない「時々ゲーマー」と言ってもよい。現今、ゲーム機ユーザーの大半を占める「時々ゲーマー」対策が、弱かったのだ。時々ゲーマー達に過剰な負担を強いるゲーム、サービスが多かった。
 しかし、先に触れたとおり、それはあくまでPSと同じ土俵の上における敗因だ。DCがこうなった根本の原因は、セガがもっと違う道を模索しなかったということなのだ。セガのゲームはライトユーザーには向かない。ブランドイメージがイマイチで、ゲームそのものは面白さが分かるまでに時間がかかるものが多いからだ(一週間や二週間という単位ではない。年単位のゲームファンでないと分からない)。PSと同じ土俵で闘ってはいけなかった。N64はPSと異なる道を模索し、見事に生き残った。本当に見事に。DCも違う道で、N64と同じように生き残れたはずだった。セガは、もっとじっくりとゲーム文化を普及させなくてはならなかったのかも知れない。

2.自分の話 −センチに−

 難しい話は疲れた。筆者が疲れたくらいだから、読んでいる人はもっと疲れたに違いない。ここまで読んでくれている人がいるのかということ自体疑わしいが、ここからは全く個人的な話をしてみたいと思う。よく考えたら、私がこういう事を書くのは初めてかもしれない。
 なぜ私はセガなのか。
 私にとって、大変に印象に残っているゲームというのがいくつかある。最も印象に残っているのは「F-ZERO」で、初めてあの映像を見た時の感動というのは多分一生忘れない。おもちゃ屋で立ち尽くしてしまったほどだった。
 おっと、セガの話だ。「F-ZERO」は確かに印象深いが、もっと直接的に私に影響を及ぼしたのは、セガのゲームだった。中でも別格は「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」と「アドバンスド大戦略」である。いとこの家で見た。ソニックが発売されたのはいつだったか忘れたが、確か89年か90年だったから、その頃だ。
 ソニックを初めて見た時の感動はF-ZEROの時に勝るとも劣らないものだった。その時、私はセガファンでも何でもなく、ただのゲーム好きの子供に過ぎなかった。その、ただのゲーム好きの子供が心底感動したのだ。
 「すげぇ!こんなすげぇゲームがメガドライブにあるなんて!」
 当時、アクションゲームの最高峰と言えば「マリオ」だった。私もそんな状況に何の疑問も持っていなかった。しかしソニックは、マリオとまた違ったアプローチで横スクロールアクションを拓き直していた。見れば分かる。速い。もの凄く速かった。ソニックを動かすのがたまらなく楽しかった。私は今と大して変わらない頭でっかちな子供で、メガドライブのメインCPUがZ80だということは知らないものの、ハードに回転・拡大縮小・半透明機能がついていないことは知っていた。だから尚更感動した。ゲームの着想自体素晴しいが、メガドライブでこの描画を実現しているなんて!カッコイイ!これを創った奴らはめちゃくちゃカッコイイ!たとえ日のあたらないハードであっても、誇りを持って自分達の信じるゲームを編み上げている、そんな技術者達の姿が頭に浮かんだ。
 アドバンスド大戦略も同時に見た。何やらでっかいマップにとてつもない量のユニットが散らばっている。戦闘シーンも何だか凄かった。ちょっとやっただけでは内容すら余りわからないはずなのに、とても魅力的だった。子供にとって、SLGと言えばガシャポン戦士だった時代である。
 結局、私はメガドライブを買うことにした。メガドライブとソフト二本。子供には高い買い物で、随分小遣いを前借りして買った。月々十五万程払うローンを組んだような気分だったように思うが、少しも後悔しなかった。
 私がセガにイカれたのはこの時だ。ソニックのお陰でゲームの裏側まで読むようなうんちく君になってしまったし、大学で日本近代史、それも軍事史を学ぶようになったのはアドバンスド大戦略の影響がなかったとはとても言えない。その大学で出会ったアクの強い友人達のお陰で、私は今みたいになってしまった。セガのゲームは、正に私の人生を変えた。
 初めてやったセガゲームは人並みに「忍者プリンセス」だったと思う。友人宅で。この時は大して何も思わなかった。余りに幼かったせいもあるし、まだファミコンのゲームの方が圧倒的に面白い時代でもあった。「ファンタシースターII」のダンジョン描画には圧倒されたが、それでもファミコンの方が良かった。
 その後、ゲームセンターで「アウトラン」や「ハングオン」「アフターバーナー」といったゲームにはまった。中でも「アフターバーナー」はよくやった。私がこのゲームと出会った時はもう古いゲームになっていたはずだが、とても面白かった。しかし、「セガのゲーム」とはっきり認識していたわけではない。
 そして「ソニック」「アドバンスド大戦略」と出会ったのだ。そこで私ははっきり「セガのゲーム」を意識した。時期的にはメガドライブがどんどん面白くなっていく頃である。マスターシステム以前を知るファンをオールドファンとすると、私はニューカマーの一期生というところだろうか。
 その後、私はメガドライブのゲームをずいぶんやった。まだSFC全盛の頃であるが、そのことがまた私を燃え立たせた。みんなSFCだSFCだと言うけれど、メガドライブのゲームだってすごく面白いんだ。何でみんな気付かないんだ。自分だけでも買ってやる。そんな気持ちでメガドライブのゲームを買った。セガは私の気持ちを知ってか知らずか、小粒でも質の良いゲームを次々と発売していた。それがやっぱりカッコよかった。真っ黒なボディの目立たないハード。私にとってメガドライブは、ピカピカのSFCにも負けない、とびきりのダークヒーローだった。
 印象に残っているゲームをランダムに挙げてみよう。
 「スーパーモナコGP」。疑似3D時代の傑作。今のレースゲームから見たら、鼻水くらいのシロモノだったが、それでも喜んでやった。「ぷよぷよ」。「通」まで猿のようにやった。最終的には10連鎖前後の世界までは到達していたと思う。「レッスルボール」。あんな地味そうなゲームの何がいいのかと思ったが、評判がいいので買ってみた。面白い。老舗ナムコの実力と、ゲームはグラフィックばかりでは無いということを知った。対戦相手がいないのがたまらなく悔しかった。「エコー・ザ・ドルフィン」。酔った。酔ったが、グログロな怪物といるかが宇宙で戦う展開に、無茶なパワーを確かに感じた。「ソニック2」「ソニック3」。このシリーズはダレることが無いのかと驚くばかりだった。次は次はという欲求に、きちんと答えてくれた。「幽遊白書」。今や伝説の格闘ゲーム。多人数対戦という概念を教えてくれた。静止画を見るとしょぼいのだが、動き出すととんでもなく凄い。ゲームは動くもんだぞ、と主張していた。対戦で2日徹夜したと思う。「シャイニング・フォース」。デカいキャラ、多い仲間。戦闘。いろいろ詰まった楽しいゲームだった。「バーチャレーシング」。呆れた。大して面白いとも思わなかったが、デカいカートリッジとメガドライブにこだわるセガの根性が心地良かった。
 他にも沢山のゲームをやった。数は少なくても、いいゲームが多かった。いつか認められないかなという私の願いも、少しずつだが達成されていた。光栄やカプコンが次々と参入してきた時は自分のことのように喜んだ。
 そして、次世代機の時代に入る。セガはサードパーティを手に入れ、高性能のハードを手に入れた。セガサターンである。ほぼ同時にプレイステーションが発売されたが、敵ではないなと思っていた。同条件ならセガのゲームの方が面白いに決まっているのだから・・・
 しかし、時代はセガに冷たかった。面白いだけでは売れない日々が、サターンの目前に迫っていた。
 この頃私は高校生だったから、難しいこともちょっとは分かるようになっていた。ゲーム界は変革していたのを肌で感じていた。
 この時期、セガは一度天下を取るが、すぐにSCEに抜き返された。
 サターンの時代が、私の一番ゲームをやった時代だ。メガドライブと同様、サターンのゲームも面白かった。
 「バーチャファイター」。次世代機の凄さを肌で感じた。定期テスト中だったというのに散々プレイした記憶がある。「クロックワークナイト」。初期のゲームはやはり記憶に残る。地味でも面白い。セガゲームの代表選手みたいなゲームだった。「デイトナUSA」。びっくりした。びっくりしたとしか言いようが無かった。「ガーディアンヒーローズ」。幽白とはまた違った良さがあった。みんなでやるとカケ値なしに楽しかった。「ナイツ」。いいゲームだった。いいゲームだった。しかし受け入れられないのは薄々分かってきていた。「バーチャファイター2」。不可能、と言われたことをやっぱりやってしまうセガに惚れなおした。
 サードパーティ製のゲームも面白かった。「同級生」シリーズ。「野々村病院の人々」「EVE」「YU-NO」「コットン2」「蒼弓紅蓮隊」「バトルバ」「ヴァンパイアハンター」・・・
 セガとしては未曾有の成功を収めたものの、サターンはPSに惨敗した。この頃から、私はセガに少しずつ違和感を覚えはじめていた。昔と違う。一心不乱にいいゲームを作っていたあの頃と違ってきている。それもそのはずだった。ゲームビジネスの新しい波に対応するため、セガはPSの作った土俵で闘い始めていたのだから。思えばこの頃にはもう、セガの運命は決まっていた気がする。
 そしてDC。
 それでも私はセガを追っかけた。古いファンにはついていけないゲームも多く発売したが、セガはやっぱりいいゲームの灯を、「セガラリー2」で、「ソニックアドベンチャー」で消しはしなかったからだ。しかし、その後のDCについては、皆さんがご存じのとおりになった。
 ハード競争においては、セガはいつも天下を獲れなかった。メガドライブの時代、セガは任天堂帝国に遥かに及ばなかった。サターンで、ソニーの新しいビジネスモデルに惨敗した。DCで、ほとんど息の根が止まった。時代という名の水先案内を、セガは見誤ったのだ。変革したゲームビジネスに鼻先を突っ込んだセガの歯車は、完全に狂っていたのだ。
 そしてセガは、結果的にハード事業から撤退するまでに追い込まれた。泥をかぶり、地面に這いつくばって、最後には立ち上がってこなかった。
 しかし泥をかぶっていても、歯車が狂っても、セガがどうしてもやめなかったことが一つある。
 良いものを、信念に満ちたものを作り続ける、ということだ。
 メガドライブは、性能はほどほどでも、ソニックを受け付けるような力を持った名機だった。サターンも、DCも、後発ハードにとっての指標となるようなよくできたハードだった。
 それらハードの上で動くソフトたちも、素晴らしかった。セガは、決して恵まれた状況でやってきたわけではない。いや、むしろ日本で最も辛酸苦汁を嘗め尽くしたゲーム会社であると思う。だからこそ私は、セガから本当にたくさんのことを学んだ。
 認知度においても、性能においても恵まれないハードの上で懸命に走るソニックから、誇りや信念を学んだ。次々と産み出されたゲーム達から、日があたらなくとも良いものを提出し続けるという美学を学んだ。良いものというだけでは報われないこともあるという苦い現実も学んだ。
 セガのハードは私にとって、誇りと信念が生む美学と、まごうかたなき現実が火花を散らして闘う、夢の箱だった。
 そしてDCが、去ってゆく。
 やがてDCは消滅し、セガが家庭用ゲーム機業界においては完全にソフトメーカーになる日がやってくる。いつの日か、ハードメーカーとして不死鳥のように復活するだろうなどと口はばったいことは言わない。そんなことはわからない。だが、一つだけ言えることがある。
 セガはそれでも、良いものを見せ続けてくれる。私は信じる。私はそれを学んだ。ハードメーカー・セガの遺した誇りと信念は、私の中でこれからも生き続ける。

 今、セガにとっての一つの時代が終わる。それは私にとっても、一つの時代の終わりになる。

(2001/2/18)



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